ブログ [巷の雑感]

暫しの充電期間を設けさせていただいた私。さて、まず何をやったかというと、3年以上にわたって書き続けてきたこのブログ「マイ趣味ライフ」のバックアップをとること。これまでその都度しっかり取っておかなかったことは私の怠慢なのだが、せっかく皆さんに育ててもらったブログ、不慮の事故で全てを失ってしまうのは忍びない。そうした不測の事態に備えて、万一の場合でも復旧できるように、540の記事と写真を時系列ごとに保存することが、まず最初にしたことだった。
しかし、そうして過去に書き綴った記事を読み直したりしてみると、いくつか気付いた点がある。まず一つ目は、何とも未熟な文章だったなあ、ということ。あの時はこんなことを考えていたんだ、とか、こんなこともあったなあ、なんて感慨にも浸ってしまい、書いた本人には暫しその時の感情や想いが甦ってもくるのだが、さて私がこうして感じたり考えたりしたことが、そのまま素直に、正確に伝えられたのかといえば、ちょっと疑問。比較的時間をかけて書いた最近の記事はまだしも、最初の頃の記事は、ちょっと恥ずかしい。こんな書き方では、とか、もう一文加えた方が、などという反省が頭をよぎったりする。
別に誰にも見てもらわなくてもいい、自分の日々の記録として、日記のように書き続けていればいい、と始めたブログ。自分だけしか読者がいなければ、未熟な文章でも、読めばあの頃の記憶や想いが甦れば、大いに意義のある文章だとも言える。ただ、引出しにしまった日記に書くのとは違い、不特定多数の出入りするネット上に掲げるブログならば、他の人に読んでもらうために書く、という側面は有る。「うれしかった」とさえ書けば、読み手に歓喜の感情を伝えられるか、といえばそうではあるまい。活字を通して自らの考えや想いを伝える技量は、やっぱり必要だなあ、と思ってしまった。
気付いた点の二つ目は、先にも書いたような日記的側面。日々の生活は、取り立てて重大なことが起こらない限り、何事も無く流れていくものだが、それでも細かな断片を「読める」という形にしておくことが、振り返った時に大きな価値を持つことに気付いた。これは書き手に対してであって、読み手にはそれほど意味は無いのだろうが、これを書くのに何時間もかかって苦労したなあ、とか、泣きながら書いたっけ、などという記憶が呼び起されるのをみると、ブログとして残してあって良かった、という価値を見出してしまった。だいたい人間は、感動したり怒ったり、涙を流して悲しんだり、悩みにもがいてばかりを毎日繰り返しているわけではない。実は何事も無く過ぎていく日々、取り立てて変わったことのない時間の方が圧倒的に多い。そんな他人から見れば無視するような、本人にとってもチッポケに思える一片でも、こうして形にしておくことの意義。ブログを始める前を振り返って、そんな小さな出来事や感情が、自分の中で既に埋もれて見つからなくなってしまったことを考えると、その意義を感じてしまった。

そして三つ目は、写真を添付してビジュアルに見せることが、書き手にも読み手にも、その時にも後で読み返すにも、やっぱり効果的だなあ、と思ったこと。行間を読ませるような卓越した文章力の無い私にとって、この写真というのは大いに補完する力になっていてくれる。写真を趣味の一つとしてる私には、撮影すること自体には苦を感じはしないが、それでも何気ない一枚を得るのに結構苦心した記憶はある。文章自体はとっくに書きあがっているのに、それに添付する写真が撮れないために、なかなか掲載できなかったこともあった。逆に、写真のみで想いを伝えられる程の力量も持ち合わせてはいないのだが、今回振り返ってみて、文と画の相乗効果はしっかり感じてしまった。
最後に四つ目として、コメントを頂ける嬉しさも挙げておきたい。他の方はどうか分からないが、サラサラ書いているようで、実は私、一つの記事を書くのに半日ほどの時間を費やすことはザラにある。そうして書いた記事にコメントを頂けるとなると、やっぱり嬉しい。ブログを通じて、何らかの自分の考えや想い、情報などを発信し、それに対して、コメントという自発的な反応を頂けるのは、共感できる嬉しさでもあるし、僅かばかりでも誰かの役になった嬉しさでもある。そして、自己満足的な一方向の発信ではなく、双方向の交流になった嬉しさも、書いた甲斐、という形で書き手に残ると思う。もちろんこのブログも、最初から沢山のコメントを頂けたわけではないし、コメントを頂くことを第一の目的とした訳ではないのだが、ここに至ってこうして得た「輪」は、実は大切なものだと、今になって痛感したりしている。(ちなみに、最もコメントが多かったのはやっぱり、2009.10.30のアレでした)

バックアップを取りながら感じたことはそんな事なのだが、振り返ってばかりもいられない。さて、これからどうしよう。
アクセスカウンターの数字が上がっていくに従い、そして頂くコメントが増えるに従い、もっと理路整然とした文章を、もっと有益なテーマの提示を、などという識者や論者のような感覚が、自らの足に不釣り合いな重しを付け、それが何か、行き詰まり感を生んでしまったような事を考えると、自らの力量を考え、ここでブログを辞めてしまうという選択肢も確かにある。しかし、先にも書いたように、ブログを続けることのメリットも、今回しっかり感じてしまったのも事実。ならば、もう少し肩の力を抜いて続けられるブログにしてみてはどうか、という結論に自然と達する。しかし、書き手が同じである以上、書く文章や志向がそれほど変わるとも思えない。これまで同様、多くの時間を割いて書く記事は無くならないだろうから、サラッと書く記事の比率を多くする、ということにかもしれない。ひょっとするとそれは、趣味の事だけを書くつもりで始めたこのブログが、少しその趣向が変わってしまうことを意味するのかもしれない。
フードコートにて [巷の雑感]
地方では大型のショッピングセンターは珍しくないが、そういった所にはたいていフードコートがある。フードコートとは、100席規模の共有の座席スペースの周りに、主にセルフサービス形式の小さな店舗が軒を連ねる、飲食店広場のこと。じっくり食べる夕食とは違い、買い物がてらにちょっと食べる昼食には適していて、我が家もいつもお世話になっている。家族で行っても、各自が好きな店で好きなものを注文して、一緒のテーブルで食べられる点が飽きられず、リーズナブルな価格と共に家族連れに好まれるところだろうか。
先週日曜日も、家族と一緒にこのフードコートのお世話になった。ちょうどお昼時ということで混み合っていたが、何とか席を確保して、「チャーハン・ラーメンセット特価」と大きく書かれた店に並んだ。するといきなりテーブルを叩く音が響き、怒声が飛んできた。
「いったい何分待ったと思っているんだ! 何分待たせたか言ってみろよ! 今までこういう店で、こんなに待たされたことは無い! この店の管理は一体どうなっているんだ!」
大声を上げているのは、70歳を超えていると思われる男性。その声にちょっとびっくりはしたが、平身低頭の女性従業員に向かって放たれる声に、私はちょっとムッとした。その瞬間、注文の列に並んでいた私の前の男性(40歳前後と思われる)が、いきなり大声でその老人に言い放った。
「そんな言い方ねえだろう! 一生懸命やってるじゃないか! そんなに待つのが嫌なら、他の店に行けばいいんだ!」
言われた方は、言い返すこともなく、「すみません」と小声で言って、その場を立ち去った。
さて、その店で注文を終えた私は、自分の席に戻って出来上がりを待つ。同じように隣の店で注文した息子のうどんは、早々と出来上がってきた。家内が向かい側の店で注文した焼きそばも。しかし、一向に私のチャーハンラーメンが出来てこない。目の前でサッサと食べ始める家族を見ていても仕方ないので、ちょっと店を覗いてみる。私の注文した店が、他の店に比べて特に注文が殺到している、という訳ではない。私の注文した品も、特別珍しいものでもない。だが、どうも出来上がりの品が出てくるのが、他の店に比べて妙に遅い。機械的なトラブルというより、中で調理する人が絶対的に足らないようだ。
人間、腹が減ると気が短くなるのことは、科学的に証明されているらしい。確かに、手軽に食べれるフードコート店で、こんなに待たされた経験は私にも無い。そう思えば、さっきの老人の怒りの言葉も、何だか納得できるような気がしてきた。あの時は侮蔑の眼を向けてしまったが、意外とあの老人の言うことが正解だったのかもしれない。結局20分以上待たされて、私のチャーハンラーメンは出来上がり、やっと席に戻って来れた。もちろんその時には、家族は既に食べ終わっていたのだが。
食べながら、フッとその店に眼を向けると、さっきまで注文を受けていた女性従業員の姿は無く、代わりに男性従業員がレジ前に立っている。その女性従業員は、奥で調理係になってしまった。混雑具合を察して、どこからか助っ人がやって来たのか、それとも本来の人員がやっと揃ったのか、それは分からないが、待ち時間は大幅に短縮されたようだ。しかし、先程の老人や、それを戒めた男性、そして私など、口に出す出さないは別にして、待ち時間の思わぬ長さに憤慨した人々を作った原因は、さてどこにあるのだろう。あの頑張った女性従業員ではない事は確か。そうなると、やっぱりあの老人の言った、店の管理体制ということになるのだろうか。日曜日の昼食時に、必要な人員を用意できなかった(実際には手配していたのかもしれないが、現実はそうならなかった)、店の管理者の責任ということだろうか。そうなら、やっぱりあの老人の主張は正しい事になる(主張の方法は別として)。
しかし、私もサービス業に従事する者の一人。あの店の店長なり管理者なりの立場に自分を置き換えてみると、言い訳の一つも言いたくなる気持ちも分かる。どんな時もお客に充分なサービスが提供できるように、人員を充分用意するということは、すなわち経費の増大を招き、今のような低価格では商品を提供できない、と。この不景気の世の中、業種を問わず経費削減に勤しみ、皆ギリギリのところで踏みとどまっている。実際私は、こうしたフードコートに出店している店で、流行っていたように見えたのに、閉店を余儀なくされた店を何度も見ている。今日この店で起こった不具合が、明日、次週の日曜に、両隣の店で起こる可能性は確実にある。経費の削減と闘いながら利益を生み出していかなければ、自分の立場が危うい店長なり店の管理者なりに、同業者としてちょっと同情もしたくなる。
ではやっぱり、元々の原因は、この不景気のせいなのか。しかし待てよ、バブルで賑わい、好景気を謳歌していたあの頃、我々サービス業は充分な人員を確保できていただろうか。探せばいくらでも職が見つかるその時代、盆も正月もゴールデンウィークも、早朝も深夜も働かなければならないサービス業では、やっぱり人手不足だったことを思い出す。あの頃、ドンドンやってくるお客に、その対価に見合うサービスを提供できるように人員を確保することが、一番の頭痛の種だったのではないか。景気の好不調で、悩みは解消されない。
じゃあ、いったい何処に原因が・・・、と考えたところで、私の思考は止まった。同時に、食べ終わった私の箸も止まった。人間、腹が減ると気が短くなるのことは、科学的に証明されているらしいが、その逆もそうらしい。満腹の私には、それ以上の詮索をする意欲が無かった。それと同時に家族の姿も、その席には無かった。「遅いから、先に買い物しているね」と言って、先に立ち去ったのだった。一人残された席を立って見渡せば、何事も無かったかのような日曜日のフードコートだった。
じゃあ、行くよ [巷の雑感]
さて、そろそろ帰るよ。
大学4年間なんて、特に勉強しなくていいから。そりゃあ、中退や留年はダメだけど。せっかく努力して入った大学だからな。でもね、ここまででもう充分勉強させられてきただろう。押しつけられた勉強はもう終わりさ。これからは、自分が学びたいことだけを学んでいけばいい。机に向かいたくなければ、向かわなくていい。疲れて眠ければ、寝ればいい。遊びたければ、遊んでもいい。今まで一生懸命に走ってきたご褒美が、この4年間という時間だと思うよ。
そしてね、この4年間の大学生活の後には、もっと大きな世界が待っている。今まで成長と共に、泳ぐプールの大きさを変えてきたオマエが、今度は区切りの無い海へ出ていくようなものさ。それを、見たり、感じたり、考えたり、準備したりするのが大学生活だと思うよ。
知らない土地、それも最も動きの激しい東京で、一人で生活するとなれば、時に間違った選択をするかもしれない。右に進んで間違ったと思ったら、左に進めばいい。ただ、間違ったと思っても、同じ道を戻ってはダメだよ。正しいと思う方向に向きを変えて、前へ進むのが若者。来た道を戻っても、後悔するばかり。それが許されるのは、オレみたいな歳になって、背負うものができて、自己を犠牲にしてでも守らなくてはならない人だけ。
これから迷い、傷つき、立ち止まることもあるだろう。振り返ることも、過ぎ去った時を懐かしむこともあるだろう。そりゃあ当然さ。人間だもの。オレの子だもの。そんな鉄人じゃないからね。そんなに頑張らなくていいから。たくさん見て、たくさんの人の話を聞いて、ゆっくり考えればいい。それがこの4年間だと思うよ。
すぐに慣れると思うけど、知らない土地、知らない人の中では、何もしていないようでも、今までと同じようにしているつもりでも、疲れるものさ。まあ、体にだけは気をつけてな。苦しくても辛くても、心身ともに健康なれば何とかなることもあるさ。オレ達はこれまで通り、いつもの所に、いつものように居る。おまえが望めば、手の届くところにね。
それじゃあ、時間だから。
じゃあ、行くよ。
新生活 [巷の雑感]
一年の区切りは元旦から始まり大晦日で終わるのだが、年度の終わりは今月末。そしてこれを機に、新たな出発をされる方もいるだろう。
冬から春への季節が移り変わるこの時期を、新たな始まりの時期としたことは、実に名案だったと思う。春から夏だと、過酷な暑さに立ち向かうのに身構えてしまいそうだし、夏から秋だと、何だか物悲しいし、秋から冬だと、暮に向かっての慌ただしさに希望が負けそう。厳しい寒さを乗り切って、暖かな春を迎える冬から春へのこの時期は、何だかこの先に夢や希望が持てて、能動的に活動できそうな気分がする。
実は毎年同じようにこの時期を過ごしている大人の我々と違い、学生たちにとっては、卒業・進学・入学という節目を乗り越えることを意味する。過ぎた過去には戻れず、迎える大小の変化に、否応なく対処していかねばならない。それは楽しかった日々や親しかった友や家族との別離を悲しむことになるかもしれないし、変わりゆく未来に向けて夢を羽ばたかせることになるかもしれない。
「門出を祝う」という。門出とは、旅立ちのこと。それは祝うべきこと。出発する者も、見送る者も、祝うべき華々しいことなのだろう。勿論、その先には今まで体験したことのない苦境が待ち構えているかもしれない。旅立ちとは、先の分からぬ処へ向かう勇気を必要とする。尻込みする気持ちが希望を上回ることも、ひょっとすると有るかもしれない。しかし、それでも旅立つこと、旅立てる力を得たこと、それは祝うべきことに違いないのだろう。
デパートやショッピングセンター、ホームセンターやスーパーマーケット、様々な業種で新生活のための、販売促進が行われている。これから訪れる今までとは違った生活に、夢と希望を持って挑めるように、せめてスタート台はきちんと用意してやろう、という親心を当て込んだものかもしれない。親は分かっている。いつまでも一緒に歩けないことを、ここまでしか一緒に来れないことを。だから、「せめて」と思ってしまう。
何も変わらぬことの幸せについて、以前書いた。今年の初めに、変わりゆく世の中で立ち止まることが許されないなら、滔々と流れる川のように、今年は大らかに過ごしたい、と書いた。18年間一緒に過ごした息子が旅立つのなら、せめて私はここに留まり、今までと何ら変わらぬ姿を残しておきたいと思う。旅立つ者が、ふと振り返りたくなった時のために。
これから、愚息の引っ越しのために東京へ向かいます。ブログへの書き込みは、あまり出来ないかもしれませんが、ご容赦ください。
最後の大会 [巷の雑感]
最後の大会が終わりました。次男(小学6年生)にとって、既に公式戦は終わっていたので、あるチーム主催の大会だったのですが、昨日が所属チームで出る最後の大会でした。練習や紅白戦などと違って、優勝を目指して他チームと真剣勝負を繰り広げる姿は、もう見れません。長男の後を追って、幼稚園児から入団したこのチーム、9年間お世話になりました。時にチームメイトは一部変わったりしましたが、最後の3年間は不動のメンバーのまま、ジュニア世代の大会を戦い抜きました。戦績は最上のものではなかったかもしれません。しかし、最後の姿を見に来ていた保護者の方々と語らうと、それでも十分満足できる結果だったように思えます。いつもファインダー越しに見ている私ですが、今回はカメラを手にせず、最初から最後まで肉眼で見続けましたが、子供たちが最後に掛ける意気込みは、しっかり感じられました。そしてこの一年間で、多くの大会をこなし、苦楽を共にしたチームは、長足の進歩を得られたことも感じました。もう一年あれば、と思う気持ちは確かにあります。でも既に、ジュニアのユニフォームが似合わなくなっている子もいることを考えれば、もうここで次のステップへ行かせるのが順当なのでしょう。アイコンタクトでパスを廻す息子とチームメイト達、湧きあがる想いは別にして、十分楽しめた二日間でした。
最後の大会が終わりました。この大会は毎年この時期に行っている、卒団記念大会。公式戦が終わって久しい6年生、もうまもなく卒団する6年生のために、最後に戦う場を与えようと、あるチームが県内外の親しいチームを招いて行われる大会で、我がチームも毎年最後の大会として参加していました。しかしそれも、今年が最後になります。この大会は来年は開催されません。なぜなら、我々を招いてくれたチーム自体が、この大会をもって無くなってしまうからです。部外者の私には、詳しい事情は分かりません。けれど会場のあちこちで、それを惜しむ声が上がるほど、とてもフレンドリーなチームでした。会場準備、駐車場整理、参加者の誘導、清掃・後片付けと、朝早くから保護者の方々が懸命に動いている姿を、これまで何度も目にしました。今回も二日間にわたりトン汁を全チームに振舞ってくれたお母さん方は、閉会式のテントの中で皆、涙でした。最後に胴上げされたチーム代表者の目にも。悔しい、悲しい気持ちは当然あったでしょう。でもそれを包み隠して、この最後の大会をやりおえたチーム・保護者・指導者に対して、参加者から最後に万雷の拍手が起こったのは、当然のことでした。
最後の大会が終わりました。私の次男が、この小学生用の狭いゴールに向かって、4号ボールを蹴ることは、もう無いと思います。あんなに大きく見えたボール、今は軽々と蹴ります。あんなに広く見えたグランド、今は軽々と走り回ります。子供の成長していく姿を、こうして真摯に突き付けられると、嬉しくもあり、悲しくもあります。悲しい? ハイ、子供が我が手の中で大きく重くなっていき、飛び出すまでの時間が、確実に狭まっていることを感じさせられるからです。最後の大会を終えた息子は、より広いゴールを目指し、より広いグランドを走り回ります。それはまだまだ発展途上の息子には、小さくない変化かもしれません。しかし、その後の長い人生からみれば、ちっぽけな節目にすぎなかった、と思えるに違いありません。そうして幾つかの節目を乗り越えながら、サッカーが好きな子供から、サッカー選手になっていくのでしょう。最後の大会を終えた息子とそのチームメイト達には、振り返って懐かしむ表情は皆無です。それは当然のこと。目の前に広がっている未来の方が、遥かに広く、素敵に見えるからです。次の節目に突き当たった時、ひょっとすると僅かに振り返るかもしれませんが、今はただ、前を向いて進んで欲しいと思っています。
最後の大会が終わりました。けれど最後が無ければ、やっぱり次は始まらないのです。
基本はハイビーム [巷の雑感]

先日の朝、新聞を見ていると(我が家は地方紙なのだが)、地域版に上のような記事を見つけた。車のライトは「ハイビーム」が基本らしい。
車を運転する人は皆、ご存じのことと思うが、自動車のヘッドライトには下向きに照らすロービームと上向きのハイビームがある。そして夜間走行に使うこのヘッドライトは、ハイビームが基本だと伝えているのだが、どうもそれには違和感を感じてしまう。確かに、道路運送車両法では、自動車の前照灯はハイビームを夜間走行用とし、ロービームについては「すれ違い用前照灯」として装備を義務付けている。通常はハイビームで夜間走行し、他の交通の妨げになるような場合はロービームに切り替えなさい、というわけである。ちなみにこの法律が施行されたのは昭和26年である。
法律でそのように規定されているのであれば、この新聞記事が間違ったことを書いている訳ではない。ただ、私たちの日常では、ロービームを使うことが圧倒的に多く、それゆえにロービームでの走行が標準、基本として認識されているのではないだろうか。それならこの記事は、そうした間違った認識を正そうという記事、ということだろうか。
ハイビームは約100m先まで照らすことができ、ロービームは約40mとのこと。夜間走行では前方が見えやすい方が運転しやすいのは当たり前なので、できればずっとハイビームで運転したい。しかし、対向車からみればハイビームを浴びると眩しくて、極めて危険な運転状態になることは自明のこと。後ろから追従する車から、ハイビームを浴びせられながら運転することも同様。なので、付近に自車以外の車がいない場合に限って、ハイビームの使用ができる、と私は思っていたのだが、どうもそれでは「ロービームが基本」ということになってしまいそうで、法律の規定と私の認識には差異がある。もちろん、法治国家の日本では、法律の方が正しいので、私が間違っているということになり、この記事はそんな私に向けてのものかもしれない。
とまあ、ちょっと皮肉っぽく書いてしまったが、この記事の趣旨は、夜間に郊外の道路を横断中の高齢者事故の増加対策として、より早期発見しやすいハイビームの使用を啓発するのが目的、とのこと。そう考えると、確かに頷ける点もあるが、実際に運転していてハイビームを躊躇なく使える状況というのは、いったいどれほどあるのだろう。地方都市在住の私でさえ、ハイビームを最近使った記憶が無いし、大都市に居住する方なら尚更であろう。記事では、小まめに切り替えることを推薦しているが、頻繁に切り替えたり、無理にハイビームを使うことは、パッシングや嫌がらせと勘違いされたり、かえって別の事故や事件の原因になったりはしないか、そんな心配も出てくる。
自動車がごく一部の富裕層の高級品から、生活必需品に変わった現在でも、半世紀以上前にできた法律に則って自動車を運転しているのが私たち。「基本はハイビーム」と言われても、私にはイマイチ違和感が拭えない。
正月らしさ [巷の雑感]
もう正月気分もすっかり抜けたというのに申し訳ないのだが、最後に一話題だけ。

昨年はデフレに苦しんだ一年だったという。モノの値段がドンドン安くなり、それでも売れない。失業率が上がり、一昨年末に話題になった非正規雇用者だけでなく、正規雇用者の従業環境も厳しくなった年だった。そんな暗さのせいだろうか、年末のクリスマス商戦や年始の初売り商戦が、いつもより華やいで見えた印象がある。それでも結果は、あまり芳しくないようだが。
年末年始のこうしたイベントでは、どうしても出費が多くなる。国民皆中流意識の日本では、所得が減ったからクリスマスプレゼントは無しにする、とか、生活が苦しくなったからお年玉は無しにする、といった話はあまり聞かない。初詣の賽銭が少なくなったというから、節約はするのだろうが、一年を締めくくり、新年に夢を馳せるために、固くなった財布の紐をこの時期は少し開ける。そしてそれを期待して、多くの店や会社が広告を捲き、集客を狙う。
先日、同年代の方と話していると、何気に正月の話題になった。そして我々の口から出たのは、「最近は正月らしさが無くなった」という言葉であった。私が子供の頃(ということは、随分前の話だが)、正月は付近のお店などは皆休みで、初詣で賑わう神社周辺を除けば、道路も閑散としていて、澄んだ冷たい空気のせいか、どこか凛とした雰囲気が流れていたように記憶している。年末は、あんなに賑わっていた商店街やデパート・スーパーなどは、皆シャッターを下ろして静寂の一因になっていたりする。そんな中で子供の私は、どうしても家の中にいる時間が長く、それは家族と過ごす時間が長くなることを意味し、時に初詣に出かけたり、親戚の家に行ったりはしても、基本的には、おせち料理を食べながら年賀状を見たり書いたり、もらったお年玉の使い道を考えたり(店が開いていないので、直ぐには使えなかった)、コタツを囲んで家族でテレビを見て過ごす、というのが正月だと思っていた。
それから随分時を経て、今では元旦から営業している店は珍しくなくなった。おせち料理は、保存のきく造り置きの料理で、正月には生鮮食料品がなかなか手に入りにくかったことも普及要因の一つだと思うのだが、今では元旦から普段通りの食材が苦も無く買える。1月4日とか5日に行われる初売りを目指して、いろいろ策を練ったこともあったが、元旦の朝から福袋を求めて店の前に並ぶのが、現在である。
元旦の朝に配られる新聞には、多くの広告チラシが入っている。それは例年のことなのだが、それらを眺めていると、元旦から営業の店は半分ぐらいだろうか。2日から営業となると、もうほとんどの店がそうである。デフレの今、財布の紐が少しでも緩みそうなら、休んでなどいられない、ということだろう。しかし、そうして賑わう正月の街には、買い物客だけではない。そこで働く人たちが必ずいる。
以前、業界最大手のヤマダデンキが、元旦営業をやめたことを、このブログで書いたことがある(2008年4月19日)。その後、デフレと不況が進行した日本では、その目的や志に業界は追従せず、元旦でさえ一大商戦の場だ。雇用環境が悪化した今年、それに異を唱える従業員の声は、随分と聞こえなくなった。職があるだけマシ、という状況では、自らの職を確保するために、勤める会社や店の存続のために、元旦から出社する人は何も言えない。
しかし考えてみると、元旦というのは、世界規模で祝日という貴重な日なのだ。日本には祝日もお盆休みもあるが、それはほとんどが日本固有のものだ。外国にも祝日やホリデーはあるが同様。でも、旧暦を使っている一部の国を除いては、多くの国で元旦は祝日で休み。全世界的に見て、最も人が働かない休日が、この元旦だと言えるのではないだろうか。もし世界共通の祝日を造るとすれば、真っ先に候補に挙がるのが、この元旦であろう。
いっそのこと、元旦は世界規模で「働かない日」にしてしまったらどうだろう。そうなると、交通や経済の面で不便のしわ寄せが来るかもしれない。でも一年に一日くらいは、そういった日もあっても良いのでは、と私などは思ってしまう。民主主義の多数決の原理なら、可決しそうだが、資本経済の原則からは、有り得ないことだろうか。ただ私は、そうでもしないと、昔私が抱いていた「正月らしさ」は戻ってこないような気がする。

昨年はデフレに苦しんだ一年だったという。モノの値段がドンドン安くなり、それでも売れない。失業率が上がり、一昨年末に話題になった非正規雇用者だけでなく、正規雇用者の従業環境も厳しくなった年だった。そんな暗さのせいだろうか、年末のクリスマス商戦や年始の初売り商戦が、いつもより華やいで見えた印象がある。それでも結果は、あまり芳しくないようだが。
年末年始のこうしたイベントでは、どうしても出費が多くなる。国民皆中流意識の日本では、所得が減ったからクリスマスプレゼントは無しにする、とか、生活が苦しくなったからお年玉は無しにする、といった話はあまり聞かない。初詣の賽銭が少なくなったというから、節約はするのだろうが、一年を締めくくり、新年に夢を馳せるために、固くなった財布の紐をこの時期は少し開ける。そしてそれを期待して、多くの店や会社が広告を捲き、集客を狙う。
先日、同年代の方と話していると、何気に正月の話題になった。そして我々の口から出たのは、「最近は正月らしさが無くなった」という言葉であった。私が子供の頃(ということは、随分前の話だが)、正月は付近のお店などは皆休みで、初詣で賑わう神社周辺を除けば、道路も閑散としていて、澄んだ冷たい空気のせいか、どこか凛とした雰囲気が流れていたように記憶している。年末は、あんなに賑わっていた商店街やデパート・スーパーなどは、皆シャッターを下ろして静寂の一因になっていたりする。そんな中で子供の私は、どうしても家の中にいる時間が長く、それは家族と過ごす時間が長くなることを意味し、時に初詣に出かけたり、親戚の家に行ったりはしても、基本的には、おせち料理を食べながら年賀状を見たり書いたり、もらったお年玉の使い道を考えたり(店が開いていないので、直ぐには使えなかった)、コタツを囲んで家族でテレビを見て過ごす、というのが正月だと思っていた。
それから随分時を経て、今では元旦から営業している店は珍しくなくなった。おせち料理は、保存のきく造り置きの料理で、正月には生鮮食料品がなかなか手に入りにくかったことも普及要因の一つだと思うのだが、今では元旦から普段通りの食材が苦も無く買える。1月4日とか5日に行われる初売りを目指して、いろいろ策を練ったこともあったが、元旦の朝から福袋を求めて店の前に並ぶのが、現在である。
元旦の朝に配られる新聞には、多くの広告チラシが入っている。それは例年のことなのだが、それらを眺めていると、元旦から営業の店は半分ぐらいだろうか。2日から営業となると、もうほとんどの店がそうである。デフレの今、財布の紐が少しでも緩みそうなら、休んでなどいられない、ということだろう。しかし、そうして賑わう正月の街には、買い物客だけではない。そこで働く人たちが必ずいる。
以前、業界最大手のヤマダデンキが、元旦営業をやめたことを、このブログで書いたことがある(2008年4月19日)。その後、デフレと不況が進行した日本では、その目的や志に業界は追従せず、元旦でさえ一大商戦の場だ。雇用環境が悪化した今年、それに異を唱える従業員の声は、随分と聞こえなくなった。職があるだけマシ、という状況では、自らの職を確保するために、勤める会社や店の存続のために、元旦から出社する人は何も言えない。
しかし考えてみると、元旦というのは、世界規模で祝日という貴重な日なのだ。日本には祝日もお盆休みもあるが、それはほとんどが日本固有のものだ。外国にも祝日やホリデーはあるが同様。でも、旧暦を使っている一部の国を除いては、多くの国で元旦は祝日で休み。全世界的に見て、最も人が働かない休日が、この元旦だと言えるのではないだろうか。もし世界共通の祝日を造るとすれば、真っ先に候補に挙がるのが、この元旦であろう。
いっそのこと、元旦は世界規模で「働かない日」にしてしまったらどうだろう。そうなると、交通や経済の面で不便のしわ寄せが来るかもしれない。でも一年に一日くらいは、そういった日もあっても良いのでは、と私などは思ってしまう。民主主義の多数決の原理なら、可決しそうだが、資本経済の原則からは、有り得ないことだろうか。ただ私は、そうでもしないと、昔私が抱いていた「正月らしさ」は戻ってこないような気がする。
川の流れに [巷の雑感]
新年おめでとうございます。今年もこのブログをご覧の皆さまに、幸多き年となることを、心からお祈り申し上げます。
さて、昨年の最初の記事では、「何でもないようなこと、当り前のことが当り前のように流れていくことの幸せ」について書きました。2010年の最初のこの記事で、私は今年を「高くを夢見ない、多くを望まない一年」にしたいと考えています。
新年は、これから広がる未来に向かって希望を持ち、夢を語る時期なのに、何と逆行したことか、と思われる方が多いと思います。初詣に行って手を合わせ、今年こそは、今年も、と幸運を願ったこと、私も毎年繰り返してきました。そしてそれが、多大な努力の結果で得られることを、自分の意志とは関係なく得られたり得られなかったすることを、どんなに力を尽くしても得られないこともあるということを、繰り返してきました。
時の経過や人生を、川の流れにたとえることもあります。流れに逆らってでも踏ん張らねばならないことも、岩にしがみついて一時の濁流に耐えねばならないことも、自らの意図する処へ留まるためには常に漕ぎ続けなくてはならないことも、自分の人生の折り返し地点を過ぎてしまった私には、何となく分かるような気がしてきました。しかしそれでも川は、低き所から高みに向かって流れることはありません。
どんな願いも希望も、努力すれば必ず叶う、と言いきれない私が、今ここにいます。例えば、自らの夢に向かって懸命に努力した結果、それが得られたとします。それでもふと振り返れば、その努力をすることで失ったもの、得られるはずが得られなかったものは、はたして無かったでしょうか。夢のために猛進してきた自分では納得できても、周りの人々に犠牲や協力を強いたことは無かったでしょうか。逆に、懸命に努力しても、それがかなわなかった時、振り返って見て、どうでしょうか。
自らの夢に向かって努力することを否定しているのではありません。何もしなければ何も進まない。いや進まないどころか、いつの間にか流されて、あらぬ淀みの中にはまっているかもしれません。しかし、私の手は左右に一つづつしかありません。長くもない足は二本しか持っていません。持てる量も、走れる速さも、どんなに望んでも限りがあります。何かを捨てなければ、新たに何かを持てないかもしれない。走る速度を落とさなければ、遠くまで行けないかもしれない。持つな、走るな、と言っている訳ではありません。ただ、夢を追う、目標に挑むということの賛辞ばかりに耳を傾けず、足元をおろそかにする危険性についても目を向ける、そんな一年を生きてみたいと思っています。あまりに現実過ぎる話で、この時期に語るには相応しくないと自認しているのですが、時にそういった時期があっても良いと思い、あえて書かせていただきました。
小学生の子らに、将来の夢は?と聞くと、「日本代表になってワールドカップに出ること」と皆言います。同じ質問を高校生にすると、そんな答えはまったく返ってきません。その高校生の倍以上の年月を生きてきた私は、世間からは大人として見られています。夢を抱き、夢を語るのは、どんな年代であっても、悪いことではなく、素晴らしいことだと思っています。ただ、自らを知り、周りを見て、背負った責任を感じながら夢見るのが、大人の夢だと思うのです。年頭に当たって今年は、多くを望まず、しっかり見聞きしながら、生きてみようかと思っています。川の流れのように、時にゆったりと、じっくりと。
さて、昨年の最初の記事では、「何でもないようなこと、当り前のことが当り前のように流れていくことの幸せ」について書きました。2010年の最初のこの記事で、私は今年を「高くを夢見ない、多くを望まない一年」にしたいと考えています。
新年は、これから広がる未来に向かって希望を持ち、夢を語る時期なのに、何と逆行したことか、と思われる方が多いと思います。初詣に行って手を合わせ、今年こそは、今年も、と幸運を願ったこと、私も毎年繰り返してきました。そしてそれが、多大な努力の結果で得られることを、自分の意志とは関係なく得られたり得られなかったすることを、どんなに力を尽くしても得られないこともあるということを、繰り返してきました。
時の経過や人生を、川の流れにたとえることもあります。流れに逆らってでも踏ん張らねばならないことも、岩にしがみついて一時の濁流に耐えねばならないことも、自らの意図する処へ留まるためには常に漕ぎ続けなくてはならないことも、自分の人生の折り返し地点を過ぎてしまった私には、何となく分かるような気がしてきました。しかしそれでも川は、低き所から高みに向かって流れることはありません。
どんな願いも希望も、努力すれば必ず叶う、と言いきれない私が、今ここにいます。例えば、自らの夢に向かって懸命に努力した結果、それが得られたとします。それでもふと振り返れば、その努力をすることで失ったもの、得られるはずが得られなかったものは、はたして無かったでしょうか。夢のために猛進してきた自分では納得できても、周りの人々に犠牲や協力を強いたことは無かったでしょうか。逆に、懸命に努力しても、それがかなわなかった時、振り返って見て、どうでしょうか。
自らの夢に向かって努力することを否定しているのではありません。何もしなければ何も進まない。いや進まないどころか、いつの間にか流されて、あらぬ淀みの中にはまっているかもしれません。しかし、私の手は左右に一つづつしかありません。長くもない足は二本しか持っていません。持てる量も、走れる速さも、どんなに望んでも限りがあります。何かを捨てなければ、新たに何かを持てないかもしれない。走る速度を落とさなければ、遠くまで行けないかもしれない。持つな、走るな、と言っている訳ではありません。ただ、夢を追う、目標に挑むということの賛辞ばかりに耳を傾けず、足元をおろそかにする危険性についても目を向ける、そんな一年を生きてみたいと思っています。あまりに現実過ぎる話で、この時期に語るには相応しくないと自認しているのですが、時にそういった時期があっても良いと思い、あえて書かせていただきました。
小学生の子らに、将来の夢は?と聞くと、「日本代表になってワールドカップに出ること」と皆言います。同じ質問を高校生にすると、そんな答えはまったく返ってきません。その高校生の倍以上の年月を生きてきた私は、世間からは大人として見られています。夢を抱き、夢を語るのは、どんな年代であっても、悪いことではなく、素晴らしいことだと思っています。ただ、自らを知り、周りを見て、背負った責任を感じながら夢見るのが、大人の夢だと思うのです。年頭に当たって今年は、多くを望まず、しっかり見聞きしながら、生きてみようかと思っています。川の流れのように、時にゆったりと、じっくりと。
モラルの問題 [巷の雑感]
先月のこと。用あって、息子の通う小学校に行くことになった。車で行くのははばかられるので、自転車で向かう。校門から入ろうとすると、その脇には上の写真のような張り紙というか注意書きの掲示がしてあった。それだけなら何気なく通り過ぎるのだが、辺りを見回すと、学校周辺の至る所に、同様の掲示をたくさん見かける。学校の周囲だけではない。学校からの帰路に意識して見てみると、通学路にもかなりの枚数を見つけることができた。私は犬を飼っているわけではないので、この辺りを歩くことが少なく、今まで気付かなかっただけだろうか。
小学生の登下校。私も経験あるのだが、整然と歩いていくことはまず無く、友人同士で雑談しながら歩いていくことが殆どではないだろうか。まして小学生だ。時にふざけ合いながら歩くこともあるかもしれない。そんな時に、ある子が道端にあった犬の糞を踏んづけてしまった。それ以降、その子は「汚い」「臭い」と学校で言われ、いわゆるイジメにあってしまったらしい。学校側も、その子のケアをすると同時に、このような子を増やさないよう、原因となった犬の糞を、通学路から無くそうと、こうした掲示を始めた。実際に糞が見つかった場所に掲示していったら、現在のような枚数になってしまった、という。
今年ももうすぐ終わろうとしているが、政権交代と不況に喘いだ年だった、とテレビなどでは言っている。それでもペット業界は、なかなかの売り上げを見せたというから、やはりブームなのだろうか。早朝や夕方には、犬を連れた人(その多くが中年以上の男女)をよく見かける。そしてその誰もが、犬の糞を処理する袋などを片手に持っている。私はこれまで、犬を連れて歩く人で、それを持っていない人を見たことが無い。そして実際に、糞の処置をしている姿を見たこともある。それなのに、この現状はどうだろう。要するに、犬の散歩に行く時は、処置する道具を持参しないと人目が気になる。けど、誰も見ていないと分かると、そんな面倒なことはしたくない。そんな人が我が街には、ずいぶんと居るということなのかもしれない。
先日、ガーデニングを趣味としている主婦の方が、「ウチの花壇に犬の糞をさせていく人がいるのよ。植木鉢の中までもよ」と嘆いているのを聞いたことがある。近所の理容店の奥さんは、「私は毎日早起きするのだけど、毎朝店の前の道に犬の糞があって、毎日私が処理しているのよ」と怒っていた。もちろん、犬を飼っている人が皆、そんな不心得者であるはずもなく、ごく一部の人の仕業に違いない。ただ、こうした現状を見て、皆さんはどう思うだろう。「それは、飼育者のモラルの問題だ」と思うのではないだろうか。
モラルとは、道徳・倫理・良識のことをでしょう。そしてそれは、法的な拘束力を持たず、人間の良心や良識に根ざしていると思われる。あらゆることを法律で決め、それを破れば罰則を加えられるという世の中は、常に自分が何か法に触れるようなことをしていないか、意識していなければならず、息苦しくて好ましいとは決して思えない。対して人は皆、善良な心を持ち、互いに助け合い尊重し合って成り立っている世の中では、共通する倫理感から、言葉や文章で表さなくても、罰則で規制しなくても、秩序を保っていける面も存在する。それらのバランスをどうとっていくかが、人々が平和に快適に過ごしていけるか、ということになるだろうし、長い年月をかけて今でもそれを模索していると思う。
しかしここで私は、そんな道徳論を展開する意思も知識も無い。ただ、人が「それはモラルの問題だ」と言うような場面に出くわした時、その言葉は実は、「それは法律で決められていないことだから仕方ない」という意味合いが、多分に含まれていないだろうか。「人の良心に委ねられるべきことで、それを守らせる強制力が無い」というような、あきらめに似た意味合いが感じられる私は、ちょっと変なのだろうか。
犬の糞の件を例に出したが、タバコのポイ捨てやゴミの分別の問題でも、モラルの欠如が叫ばれることが多い。そしてそれは、最近になって急に言われ始めたことでもなく、性別・年代・地域の区別なく、様々な形で見受けられる。欧米では、勉学を学ぶ以前の幼い時に、こうしたことをしっかり植えつける教育をする、と聞く。日本ではやっぱり、まず小学校でこうした共通する道徳観を教えてほしいものだ、と思う。だが、我が子の通う小学校の周りに張り巡らされたこの掲示は、何とも皮肉で、それが難しいということを表しているように思えてならない。
すそ野にて 3 [巷の雑感]
今から14年前の平成7年のこと、ウチの愚息1号は市内にある幼稚園の年中組に入園しました。子供たちの健康と成長のため、私たちは何かスポーツを習わせようと思い、総合的な体力強化ができそうなスイミングスクールに入れることを決めていました。ところが愚息は、その幼稚園で仲良くなった友達2人がサッカーを習い始めたのを見て、自分もやりたいと言い出しました。翌年その幼稚園で行われていたサッカー教室に入り、卒園後も愚息を加えたその3人は、当時はまだ珍しかった小学生対象のクラブチームでサッカーを続けました。
その小学生時代の6年間、ずっとそのチームで主力として活躍した3人は中学生になっても、在籍中学のサッカー部ではなく、同じ中学生対象のクラブチームに入団しました。高校進学の際に、この3人は別々の学校に入学したので、そこで別チームに分かれることになるのですが、それまで10年間、同じチームのチームメイトとして過ごしてきました。そして今、我が愚息はこの高校サッカー選手権県大会で既に敗れ、今日の決勝戦は観客席から眺めています。その眼の先には、コイントスの後握手をする両チームのキャプテンの姿。その2人こそ、いつもふざけてばかりいるのに、サッカーとなると眼の色を変える3人組の2人でした。
試合とは、勝者と敗者を決めるもの。そして表彰式は、勝者にとって歓喜の表現の場かもしれないが、敗者にとっては辛い場である、ということは、以前このブログの「敗者の表彰式」という記事で書きました。今回、決勝戦後の表彰式を撮るにあたって、私はそんな訳で両チームのキャプテンをよく知っているだけに、複雑な想いに満ちていました。整列する両チームの中央にカメラを向けると、にこやかな笑顔で握手をする2人の姿をファインダーで確認して、ちょっと安心した自分がいました。でもよく見ていると、私には分かりました。チームメイトが喜びの表情を爆発させているのに対して、安堵感や達成感はあっても、気遣いを感じさせる勝者のキャプテンと、泣き崩れるチームメイトの傍らで、悔しさ辛さをぐっと胸の奥にしまって、笑顔で勝者をたたえる敗者のキャプテン。高校生活最後の大会で、全国へ行けるかどうかの重要な一戦は、まさに好ゲームでしたが、表彰式での姿もまた、両者ともに素晴らしかったと思いました。
サッカーと言えば、日本代表やJリーグが日々注目されるのは当然でしょうが、こんな地方のすそ野の大会・試合にも、実は小さなドラマが有ったりします。サッカーに限ったことではないでしょう。多くのスポーツ・部活動で、勉学とは違った子供同士の触れ合いやそれに伴う悲喜があり、それが成長期の子供たちに与える影響を考え、多くの学校でクラブ活動の推進をしているのだと思います。もちろん、功も有れば罪となってしまう事も有るでしょう。それでも私が今日一日ここで見たもの、既に敗退してしまった選手同士が、何のわだかまりも無く歓談する姿、選手と一体になって応援する後輩たち、勝っても負けても泣き崩れる保護者の姿、最後で最大の試合で、今持てる力を全て出し切ろうとした選手たちが、表彰式が終わるまでそれを貫き通した姿、それらはやっぱり、理屈や理論だけでない、やらなければ分からない・得られない、貴重なものであると感じました。
こんな地方のすそ野の大会だけど、僅かな清々しさは、確かにありました。
その小学生時代の6年間、ずっとそのチームで主力として活躍した3人は中学生になっても、在籍中学のサッカー部ではなく、同じ中学生対象のクラブチームに入団しました。高校進学の際に、この3人は別々の学校に入学したので、そこで別チームに分かれることになるのですが、それまで10年間、同じチームのチームメイトとして過ごしてきました。そして今、我が愚息はこの高校サッカー選手権県大会で既に敗れ、今日の決勝戦は観客席から眺めています。その眼の先には、コイントスの後握手をする両チームのキャプテンの姿。その2人こそ、いつもふざけてばかりいるのに、サッカーとなると眼の色を変える3人組の2人でした。
試合とは、勝者と敗者を決めるもの。そして表彰式は、勝者にとって歓喜の表現の場かもしれないが、敗者にとっては辛い場である、ということは、以前このブログの「敗者の表彰式」という記事で書きました。今回、決勝戦後の表彰式を撮るにあたって、私はそんな訳で両チームのキャプテンをよく知っているだけに、複雑な想いに満ちていました。整列する両チームの中央にカメラを向けると、にこやかな笑顔で握手をする2人の姿をファインダーで確認して、ちょっと安心した自分がいました。でもよく見ていると、私には分かりました。チームメイトが喜びの表情を爆発させているのに対して、安堵感や達成感はあっても、気遣いを感じさせる勝者のキャプテンと、泣き崩れるチームメイトの傍らで、悔しさ辛さをぐっと胸の奥にしまって、笑顔で勝者をたたえる敗者のキャプテン。高校生活最後の大会で、全国へ行けるかどうかの重要な一戦は、まさに好ゲームでしたが、表彰式での姿もまた、両者ともに素晴らしかったと思いました。
サッカーと言えば、日本代表やJリーグが日々注目されるのは当然でしょうが、こんな地方のすそ野の大会・試合にも、実は小さなドラマが有ったりします。サッカーに限ったことではないでしょう。多くのスポーツ・部活動で、勉学とは違った子供同士の触れ合いやそれに伴う悲喜があり、それが成長期の子供たちに与える影響を考え、多くの学校でクラブ活動の推進をしているのだと思います。もちろん、功も有れば罪となってしまう事も有るでしょう。それでも私が今日一日ここで見たもの、既に敗退してしまった選手同士が、何のわだかまりも無く歓談する姿、選手と一体になって応援する後輩たち、勝っても負けても泣き崩れる保護者の姿、最後で最大の試合で、今持てる力を全て出し切ろうとした選手たちが、表彰式が終わるまでそれを貫き通した姿、それらはやっぱり、理屈や理論だけでない、やらなければ分からない・得られない、貴重なものであると感じました。
こんな地方のすそ野の大会だけど、僅かな清々しさは、確かにありました。









