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少年サッカーの撮影 その49 [少年サッカーの撮影]

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暑い夏。日中炎天下での撮影は大変だけど、少年サッカーは夏休みに多くの遠征や大会があって、撮影チャンスも多い。選手に負けずに頑張ろうと思っても、日頃の運動不足、体力不足を痛感してしまうこともしばしば。「スポーツ撮りはスポーツだ!」「一瞬を切り撮るには集中力の勝負」と偉そうな書き続けてきたが、調子の悪い日もやっぱりある。私の場合、そんな調子の悪さはこんなところに表れる。
まず、いつも通り撮っているつもりなのに、なぜか自チームの選手ではなく、相手選手の良いシーンばかり捉えてしまうこと。たとえ相手チームの選手が主役でも、良いシーンは良いのだが、それでも自チーム撮りの立場としては、やっぱり失敗カットなのかもしれない。望んでそれを狙っているわけではないのだが、不思議とそうなってしまうのは、理由は分からないが、調子が悪いということなのだろう。

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次に、いつも通り撮っているつもりなのに、なぜか狙った選手の背中ばかり捉えてしまうこと。後姿も躍動感のある、雰囲気のある画になることはあるのだけど、選手の表情を第一にしたい私としては、やっぱり失敗カットかもしれない。撮影ポジションを変えたりして工夫してみても、ココぞというシャッターチャンスに向こうを向かれたりする。選手はモデルではないから、こちらの要望通りとはいかないのは分かるが、一瞬を切り撮るサッカー撮影では、これも運が悪い・調子が悪いということだろうか。

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そして、いつも通り撮っているつもりなのに、どうもボールがファインダー内に入ってくれない。サッカー撮影では、ボールに絡む選手を撮るのが基本だから、ボールが画面内に入らないのはやっぱり失敗カットかもしれない。なぜ入らないかといえば、ある程度ボールの動きを予測して、先回りしてカメラを構えるのだが、その予測が外れるから。または、予測判断が遅くなって、構えた時には既に蹴られた後、ということ。これは運が悪いという部分もあるかもしれないが、どちらかといえば撮影者側に原因があるだろう。

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さて、いつもどおり撮っているつもりなのに、そんな調子が悪い時は、ちょっと休んでみるのが一番効果的。その「ちょっと」というのが、5~6分だったり、1時間だったり、数日だったりするが、カメラを置いて裸眼でボールや選手の動きを追ってみる、応援に専念する、椅子に座って水分補給して体力を回復させる、グランドの反対側まで行って撮影ポジションを大きく変える、というようなことをやると、またモリモリ撮影意欲が湧いてくることがある。我々のようなアマチュアの場合、修行のように苦しい状態から良作は、なかなか生まれないものだ。調子が悪いと感じたら、無理にシャッターを切らず、気持ちの切り替えや休息、モチベーションのアップ、集中力の回復を図った方が、きっと良い結果になるように思う。

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1枚目
CANON 1D MarkⅢ+EF300mm F2.8 L IS+EF1.4xEXTENDERⅡ
焦点距離 420mm シャッター速度優先AE シャッター速度 1/800 絞り F6.3 評価測光
露出補正 +2/3  ISO 160  AI SERVO AF  RAW
2枚目
CANON 1D MarkⅢ+EF300mm F2.8 L IS+EF1.4xEXTENDERⅡ
焦点距離 420mm シャッター速度優先AE シャッター速度 1/1000 絞り F4.5 評価測光
露出補正 +1/3  ISO 125  AI SERVO AF  RAW
3枚目
CANON 1D MarkⅢ+EF400mm F2.8 L Ⅱ
焦点距離 400mm シャッター速度優先AE シャッター速度 1/1250 絞り F2.8 評価測光
露出補正 +2/3  ISO 100  AI SERVO AF  RAW
4枚目
CANON 1D MarkⅢ+EF300mm F2.8 L IS
焦点距離 300mm シャッター速度優先AE シャッター速度 1/800 絞り F5.0 評価測光
露出補正 +1/3  ISO 100  AI SERVO AF  RAW
5枚目
CANON 1D MarkⅢ+EF400mm F2.8 L IS
焦点距離 400mm シャッター速度優先AE シャッター速度 1/1000 絞り F3.2 評価測光
露出補正 +-0  ISO 320  AI SERVO AF  RAW

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オリンピック雑感 その3 [巷の雑感]

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先週までオリンピック一色で、テレビに向かって叫んでいた我が家もすっかり静かな、いつもの生活に戻ってしまった。振り返ってみれば、4年間の忍耐と修練の成果を、一瞬の輝きで表現してくれるアスリートたちは、花火にも似ているのかもしれない、と思った。
今回のオリンピックにも、日本人メダリストが多く出た。競技の種類や内容、メダルの色にこそ違いはあれ、全世界から集まった優秀なアスリートたちのなかで、4年に1度、全世界の眼が集まるという重圧の中で、メダルを獲得した人には称賛が与えられて当然だし、私も万雷の拍手を送りたい気分であることは間違いない。それでも私は、やっぱり個人種目よりも団体競技の方が好きだ。
オリンピックが終わったばかりだから、総集編とかハイライトシーンが連日テレビで放映され、あの時の興奮を呼び起こしてくれる。そんな感動的なシーンを見ていると、選手個人の努力によって結実した勝利より、至らなさを補いながら互いに一つの目標に登りつめていった団体競技の歓喜のシーンの方に、よりグッと来る感動を覚えてしまう。まさに、1+1が2ではなく、3にも10にもなるということを体現した瞬間だ。あの銅メダルを獲得した男子400mリレーがその顕著な例かもしれない。
もちろん、団体競技とて個人の集まり。一人一人の過酷で地味な努力と修練の結果が無ければ、チームとしての勝利はありえない。誰か一人のおかげで勝つことも、誰か一人のせいで負けることもないのだが、全員の気持ちと技量が集中しないと勝てないのも確かなことだ。そんな面に、大いなる魅力を感じてしまうし、メダルを手にするという快挙を成し遂げた喜びに、より感動したりする。
個人競技にそんな感動が無いか、といえばそんなことはないし、「団体競技は日本人向き」と言えるほどの見識もない。これはあくまで私個人の偏った見方であることは重々承知しているのだが、互いに鍛えあい認め合い、切磋琢磨を繰り返してきた、チームメイトの手と手、顔と顔を合わせて泣き崩れるシーンは、やっぱり私は好きだし、これこそがチームスポーツの醍醐味だと思ってしまう。
再度言うが、個人競技が嫌いな訳ではないし、その努力の結実が決して劣るものでもない。団体競技の歓喜の瞬間の方が、きっと私には分かりやすいのだろう。団体競技の場合、メダルは登録メンバー全員に渡される。たとえその試合に出なかった選手にも。当然と言えばそうなのかもしれないが、そんなところも私は好きだ。
さて、高校野球も終わり、オリンピックも終わった。多くのスポーツの大会が行われた夏休みも、もうすぐ終わる。新たなスタートに立つ者も、一区切りする者もいるだろう。結果はどうあれ、今年も思い出深い夏が過ぎてゆく。
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夏休み [巷の雑感]

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我が子が部活から帰ってくると、セミの声が随分少なくなった、と言う。確かに、今が盛りと鳴いていたあの声が、このところ随分少なくなり、代わって夜にはコオロギの声が聞こえるようになった。日が落ちるのが早くなり、朝からムッとした熱気は静まっている。窓を開けると入ってくるのは熱風ではなく、空を見上げれば、入道雲も少なくなった。季節が変わろうとしている。
私が小学生だった頃の話だから、やっぱり昭和40年代だ。その頃もやっぱり夏休みは楽しみだった。夏休みになって、毎日学校に行かなくなったら、さて何をしてやろうか、と随分前から計画を練っていたものだった。今思い出せば、昼ぐらいまで寝てやろう、とか、早起きしてちょっと離れた川へ魚釣りに行こう、とか、そんなものだったような気がする。小学生の身としては、行動範囲は自転車で行ける限られたものだし、予算もない。毎朝学校ではラジオ体操があるのだが、せっかく夏休みになったのだから、早起きして学校に行くのもなあ、と思うと、行く気にはなれなかった。それでも、学校のプールの開放日にはよく行ったし、その頃は近所にはまだ空地も多かったから、友達と野球をしたり、とにかく時間を気にせずに遊べることが嬉しかった。
そんな友達に、「明日も遊ぼうぜ」というと、「いやダメなんだ。明日から親せきの家に泊まりに行くから」とか、「来週から家族で旅行だから、それまでに宿題を片付けておかないと」と断られると、ちょっと悲しい思いをした記憶が、今でも鮮明に残っている。
私の家は自営業で、両親とも働いていた。私が夏休みだからといって、親が休みになることはない。けっして裕福とは言えない家だったから、両親はお盆も働いていたし、そんな訳だから家族旅行とかには無縁だった。母方の実家にはよく行ったし、泊まることもあった。それが夏休みの旅行替わりと親は思っていたのかもしれないが、同じ市内だし、遠くに来て珍しいものを見たわけでも、美味しいものを食べられた訳でもなかった。大人たちは飲んで談笑がよかったのかもしれないが、どうも母の実家の食事が私には合わなくて、いつも無理やり食べていた記憶がある。そんな訳だから、あまり行きたくなかったし、行ったら早く帰りたいと思い続けていた。
そんな夏休みが終わって学校に行くと、旅行に行った、とか、親戚の家に行くのに初めて新幹線に乗った、とか、有名な遊園地に行った、とかの話で教室はもちきり。私はといえば、結局は近所で遊んでいただけで、夏休みの日記に書くような期待したイベントも無く、平凡で、取り立てて感動も何も無い日々を送っていたので、肩身の狭い思いをしていたことを、この時期になるとよく思い出す。正直言って、夏休み明けの学校には行きたくなかった。もちろん、私と同じような境遇の友人もいたので、登校拒否にはならなかったが、それが毎年となると、うらやましいという気持ち、どうして会社員の家に生まれなかったのだろう、という子供としてはどうしようもない不満、親を恨む気持ちがあったことは、確かだった。
中学生になると部活動が夏休みの中心になり、そんな感情も何処かに行ってしまったが、それでも家族旅行のために練習を休む友人を、妬む気持ちで眺めていたことはあった。高校生になると、部活動と受験勉強に押しつぶされて、もうそれどころではなかった。
今年は日本を取り巻く経済情勢のせいで、この夏に海外旅行に行った人は例年より少ないようだ。行楽地が混雑している映像、帰省ラッシュのピークと渋滞を知らせるアナウンサーの声、海外からの帰国で混雑している空港や、駅のホームをお土産を持って行き来する人のインタビュー。テレビから流れるそんな映像は、あの頃も流れていたし、それを見ている自分が、うらやましい気持ちを押し包むために、自分とは無縁の世界の出来事だと、思い込むしかなかったのも、あの頃と同じ。
月日は流れ、時代も変わり、私も3児の父となった。世に中にはいろんな苦労があるけれども、少なくとも自分の苦しんだ苦労だけは、自分の子供たちにはさせたくない、私と同じ思いはさせたくない、という気持ちが親としてある。そう思い続け、気遣い、努力し続けてきたつもりなのだが、やっぱりうまくはいかないことが多い。私の子供たちも、あの頃の私と同じような想い、うらやむ想い、親を恨む想い、を持っているのだろうか。
その立場になって、そうした状況に直面して、初めて分かることも多い。たぶん、私が小学生の頃、両親も実は今の私と同じ気持ち、考えだったのかもしれない、と今になって気付く。口には出さなかったが、それが当たり前だ、普通だ、とは思ってはいなかっただろう。他の家庭のように、家族で泊まりがけの旅行に行き、家族全員で笑い、感動して、楽しみたかったに違いない。ただいろんな理由で、それが許されず、我慢しなければならなかったのだろう。子供の私と同様に、私の親も我慢していたのだろう。もう少し我慢すれば、もう少し頑張れば、そういったことが楽しめるようになる、と。
その立場になって、そうした状況に直面して、しかし私は違うと思う。この家族が、こうしていつまでも一緒に居られる時間は、そう長くはない、子供がそれを望む年代は、そう長くはない。今できることを、今しなければ、たとえ数年後にできたとしても、その時には人の心も、周りの環境も、価値観も、感動も、変わってしまっている。将来の備える、未来により大きなものを手にするために、今は我慢する、それはそれで良いことかもしれないが、流れる時間は止まっていてはくれない。子供はいつまでも子供ままでいる訳ではない。
オリンピックが終わった。あと一週間もすれば新学期が始まり、夏休みが終わる。振り返ってみて我が子は、今年の夏休みはこれをした、今年の夏休みはこれが楽しかった、感動した、といえるものがあっただろうか。もしそれが無いのであれば、親の私の責任かもしれない。夏休みはあと一週間しかないが、あと一週間残っている。
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端子キャップ [カメラ]

発売開始時に購入した私の1D3。早くも15ヶ月が経ちそうだ。ピント調整やらリコール修理などで手元を離れたこともあったが、この間で22000ショットだから、私としてはまあまあのペースかもしれない。
先日、サッカー撮影に行った時、1D3をトランクに積んであったカメラバック(アルミ製)から取り出して気がついた。側面の拡張端子がむき出し。ここにはキャップがはまっていたはずなのだが、無い。取り出すときに取れたのか、とバックの中を探したけど見当たらない。トランク周辺に落としたのか、と探したけど見つからない。家の防湿庫やパソコン周辺に落ちているか、と探したが見つけられない。
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拡張端子など、私は一度も使ったことがないので、このキャップも一度も外したことがない。ネット上の書き込みでは、このキャップを無くしやすい、という話は聞いたことがあるが、まさか自分がそうなるとは思っていなかった。この拡張端子を使わないのなら、どうでもよいことかもしれないが、端子がむき出しのままというのは、どうも気分が悪い。まして、屋外で使うことが圧倒的に多い私の場合、砂埃や雨水の侵入も容易に想像できる。何といっても、気になることがあると、撮影に集中できない性格が災いしそうだ。で、購入した近所のキタムラに行って、このパーツを取り寄せてもらうことにした。本当は、センサークリーニングがてらに、QRセンターに行けば話が早かったのかもしれないが、夏はちょっと忙しく、時間が取れそうになかったので。
お盆休みを挟んでしまったので、注文してから一週間以上かかったが、昨日キタムラから入荷の連絡があって、早速取りに行ってきた。見るとまあ、これは商品ではなくて、まんま「補修パーツ」。部品ナンバーが書かれた紙と一緒にビニール袋に入っているだけの素っ気なさ。押し込むだけのゴムキャップではなくて、ちゃんとネジ山が切ってあるプラキャップなので、回して締めこんで元通り。これで、今週末のサッカー撮影は、安心してできそう(天候が心配だが)。
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ちなみに、この部品の値段は、120円でした。
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オリンピック雑感 その2 [巷の雑感]

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オリンピックは宣伝の場ではないかと思う。企業の販促ではない。スポーツの素晴らしさの宣伝だ。
連日テレビをつけると、オリンピックの話題で満載だ。メダルを取った選手、逃した選手、その表情やインタビュー。テレビは動画だから、その情報量も多いし影響力も大きい。あるマイナー競技のメダリストがインタビューに答えている話が耳に入った。協会にも補助金などのお金が入るから、メダルが取れて本当にうれしい。これで、一緒にやっている仲間や後輩に喜んでもらえる、と。
我が子のやっているサッカーは、今ではメジャースポーツの一つで、新聞・雑誌・テレビなどのメディアでは、毎日その話題には事欠かない。それでも昔はスポーツなんて、遊びや道楽の一つと思っていた人もいたし、地方では今でもサッカー部の無い学校は多い。サッカーなんて、そんなに費用がかかるスポーツではないのだが、もっと設備や器具や場所の必要なスポーツは、なかなか普及しなかったし、実際この目で見ることも少なかった。自然と競技人口が増えないのも当たり前。国際大会で優勝しても、メディアの取り上げは少ないし、スポーツに関心の無い人は見過ごしてしまうだろう。
しかし、オリンピックとなると違う。メディアの扱いも桁違いに上だし、5~8位の入賞だってちゃんと取り上げてくれる。メダル獲得となると、マイナーなスポーツの場合は、ルールの説明や歴史の紹介、難易度の解説まで詳しくやってくれる。興味を覚えてくれれば競技人口は増えるし、成績が良ければ強化費の増額が見込める。
スポーツとお金とは、何だか下世話な話だが、現代のスポーツには避けては通れない。メジャー競技の選手が、自身やコーチ・監督、支えてくれた家族のために頑張るのにプラスして、マイナー競技の選手は、協会の為、予算獲得のため、施設や設備を良くするため、競技人口を増やすためにも頑張っているのだ。オリンピックは、そんな選手たちの唯一最大のアピールの場でもあると感じてしまった。
私たち日本人は、どうも忘れやすい人種のようだ。4年に1度のオリンピックだから、終わればまた、いつもの競技が、いつものように取り上げられる状態に戻るだろう。だから、せめてこの期間だけは、「がんばれ!ニッポン!」と、全ての競技を応援したい。
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オリンピック雑感 その1 [巷の雑感]

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連日オリンピックのTV放送を見ている。何といっても今回は、時差がほとんどないことが見やすい原因かもしれない。
4年に1度のオリンピック。ニッポンがんばれ!と期待と応援しながらテレビにかじりつくのは、誰しも同じかもしれないが、カメラを趣味としている者としては、そしてスポーツを主に撮っている者としては、あんな所で、あの表情、あのシーンを撮りたいと思うことは、もちろんある。毎日の新聞やこれから発行されるであろう雑誌などには、優れたプロカメラマンの素晴らしいスポーツ写真が載せられる。日本選手の活躍と感動と共に、スポーツ写真のお手本として見るには、実によい機会だろう。
ただ、テレビを見ていてどうも気になってしまうのは、外国選手たちのタトゥ(刺青)である。特に水泳などの肉体をさらけ出している競技では、どうも私には目障りに思えてしまう。それ以外の競技でも、ちらっと見えたりすると、私ならボツ写真にしてしまいそうだ。考え方が古いのかもしれない。自己主張の一種なのだろうし、自らが望んで行ったオシャレの一つなのだろう。ただ私には、鍛えられた肉体美とそれを存分に発揮しているシーンの美しさ、という点で、カメラマンとして撮影していたら、「目障りだ」とやっぱり感じてしまうだろう。応援者のボディペインティングには何とも感じないのだが。
私の見た限りでは、そういったタトゥした日本人選手は見当たらない。全世界から様々なアスリートが集まるのがオリンピック。国や地域が違えば、考え方や価値観も違うのが当たり前。ましてや、特に規則違反をしているわけではないのだから、非難されるようなものではない。でも、古い日本人体質の私としては、そんなタトゥ(刺青)より、日々の鍛練で鍛え上げられた肉体の方が、よっぽど自己主張していて、美しいと思う。それこそが、我々凡人が決して持ちえない、彼らの過酷な練習の成果であるはずだし、歓喜の表情と共にそれを撮りたいと思う私には、どうもこのタトゥが邪魔に思えてしかたない。
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