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新ブログ [サッカー撮影]

3年半以上にわたり、お世話になりましたこのブログですが、一旦区切りをつけ、
新ブログへ移行しました。
以下のURLです。
  
http://junior-youth-2.blog.so-net.ne.jp/

このブログは、まだまだ多くのアクセスをいただいておりますので、暫くはこのままにしておきます。
が、新ブログにて、サッカー撮影に関する私見を書き続けております。「少年サッカー」という括りを外して、
広くサッカー撮影に関する話題を書いていくつもりです。
新ブログ「the piece of my life」も、どうかよろしくお願いします。
 

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新ブログ [その他]

3年半以上にわたり、お世話になりましたこのブログですが、一旦区切りをつけ、
新ブログへ移行しました。
以下のURLです。
  
http://junior-youth-2.blog.so-net.ne.jp/

このブログは暫くはこのままにしておきますが、新ブログにて書き続けていきます。
新ブログ「the piece of my life」も、どうかよろしくお願いします。
 

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ブログ [巷の雑感]

ブログ0.jpg
暫しの充電期間を設けさせていただいた私。さて、まず何をやったかというと、3年以上にわたって書き続けてきたこのブログ「マイ趣味ライフ」のバックアップをとること。これまでその都度しっかり取っておかなかったことは私の怠慢なのだが、せっかく皆さんに育ててもらったブログ、不慮の事故で全てを失ってしまうのは忍びない。そうした不測の事態に備えて、万一の場合でも復旧できるように、540の記事と写真を時系列ごとに保存することが、まず最初にしたことだった。
しかし、そうして過去に書き綴った記事を読み直したりしてみると、いくつか気付いた点がある。まず一つ目は、何とも未熟な文章だったなあ、ということ。あの時はこんなことを考えていたんだ、とか、こんなこともあったなあ、なんて感慨にも浸ってしまい、書いた本人には暫しその時の感情や想いが甦ってもくるのだが、さて私がこうして感じたり考えたりしたことが、そのまま素直に、正確に伝えられたのかといえば、ちょっと疑問。比較的時間をかけて書いた最近の記事はまだしも、最初の頃の記事は、ちょっと恥ずかしい。こんな書き方では、とか、もう一文加えた方が、などという反省が頭をよぎったりする。
別に誰にも見てもらわなくてもいい、自分の日々の記録として、日記のように書き続けていればいい、と始めたブログ。自分だけしか読者がいなければ、未熟な文章でも、読めばあの頃の記憶や想いが甦れば、大いに意義のある文章だとも言える。ただ、引出しにしまった日記に書くのとは違い、不特定多数の出入りするネット上に掲げるブログならば、他の人に読んでもらうために書く、という側面は有る。「うれしかった」とさえ書けば、読み手に歓喜の感情を伝えられるか、といえばそうではあるまい。活字を通して自らの考えや想いを伝える技量は、やっぱり必要だなあ、と思ってしまった。
気付いた点の二つ目は、先にも書いたような日記的側面。日々の生活は、取り立てて重大なことが起こらない限り、何事も無く流れていくものだが、それでも細かな断片を「読める」という形にしておくことが、振り返った時に大きな価値を持つことに気付いた。これは書き手に対してであって、読み手にはそれほど意味は無いのだろうが、これを書くのに何時間もかかって苦労したなあ、とか、泣きながら書いたっけ、などという記憶が呼び起されるのをみると、ブログとして残してあって良かった、という価値を見出してしまった。だいたい人間は、感動したり怒ったり、涙を流して悲しんだり、悩みにもがいてばかりを毎日繰り返しているわけではない。実は何事も無く過ぎていく日々、取り立てて変わったことのない時間の方が圧倒的に多い。そんな他人から見れば無視するような、本人にとってもチッポケに思える一片でも、こうして形にしておくことの意義。ブログを始める前を振り返って、そんな小さな出来事や感情が、自分の中で既に埋もれて見つからなくなってしまったことを考えると、その意義を感じてしまった。
ブログ1.jpg
そして三つ目は、写真を添付してビジュアルに見せることが、書き手にも読み手にも、その時にも後で読み返すにも、やっぱり効果的だなあ、と思ったこと。行間を読ませるような卓越した文章力の無い私にとって、この写真というのは大いに補完する力になっていてくれる。写真を趣味の一つとしてる私には、撮影すること自体には苦を感じはしないが、それでも何気ない一枚を得るのに結構苦心した記憶はある。文章自体はとっくに書きあがっているのに、それに添付する写真が撮れないために、なかなか掲載できなかったこともあった。逆に、写真のみで想いを伝えられる程の力量も持ち合わせてはいないのだが、今回振り返ってみて、文と画の相乗効果はしっかり感じてしまった。
最後に四つ目として、コメントを頂ける嬉しさも挙げておきたい。他の方はどうか分からないが、サラサラ書いているようで、実は私、一つの記事を書くのに半日ほどの時間を費やすことはザラにある。そうして書いた記事にコメントを頂けるとなると、やっぱり嬉しい。ブログを通じて、何らかの自分の考えや想い、情報などを発信し、それに対して、コメントという自発的な反応を頂けるのは、共感できる嬉しさでもあるし、僅かばかりでも誰かの役になった嬉しさでもある。そして、自己満足的な一方向の発信ではなく、双方向の交流になった嬉しさも、書いた甲斐、という形で書き手に残ると思う。もちろんこのブログも、最初から沢山のコメントを頂けたわけではないし、コメントを頂くことを第一の目的とした訳ではないのだが、ここに至ってこうして得た「輪」は、実は大切なものだと、今になって痛感したりしている。(ちなみに、最もコメントが多かったのはやっぱり、2009.10.30のアレでした)
ブログ2.jpg
バックアップを取りながら感じたことはそんな事なのだが、振り返ってばかりもいられない。さて、これからどうしよう。
アクセスカウンターの数字が上がっていくに従い、そして頂くコメントが増えるに従い、もっと理路整然とした文章を、もっと有益なテーマの提示を、などという識者や論者のような感覚が、自らの足に不釣り合いな重しを付け、それが何か、行き詰まり感を生んでしまったような事を考えると、自らの力量を考え、ここでブログを辞めてしまうという選択肢も確かにある。しかし、先にも書いたように、ブログを続けることのメリットも、今回しっかり感じてしまったのも事実。ならば、もう少し肩の力を抜いて続けられるブログにしてみてはどうか、という結論に自然と達する。しかし、書き手が同じである以上、書く文章や志向がそれほど変わるとも思えない。これまで同様、多くの時間を割いて書く記事は無くならないだろうから、サラッと書く記事の比率を多くする、ということにかもしれない。ひょっとするとそれは、趣味の事だけを書くつもりで始めたこのブログが、少しその趣向が変わってしまうことを意味するのかもしれない。
 

そんな訳で、私の達した結論は・・・


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少年サッカーの撮影 その80 [サッカー撮影]

これまでの体験をもとに、私見をいろいろ書き続けてきた「少年サッカーの撮影」ですが、一区切りを機にインデックスを作ってみました。
何かの参考になれば幸いです。

index


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ゴールデンウィーク [日々の徒然]

ゴールデンウィーク1-1.jpg

今年のゴールデンウィークも終わりましたが、皆様は充分楽しめたでしょうか。
5人家族の我が家が、この春から3人生活。この休みには、東京から長女と長男が戻ってくるという。まあ、久しぶりに(といっても、一カ月ほどですが)帰ってくるなら、家の中でも片づけておいてやるかな。そうそう、免許取りたての新米ドライバーは、また車に乗りたがるだろうから、洗車でもしておいてやろうか。そういえば、欲しいものがあると言っていたが、用意しておいてやるかな。そんなわけで、ゴールデンウィークが始まる前にヨソヨソと準備を始めていた私。しかし待てよ。これって、盆や正月に実家に帰ってくる息子・娘を待つ、田舎の親そのものの姿じゃないか。
帰省ラッシュやUターンラッシュを伝えるテレビニュースでは、駅や空港で「田舎の両親に孫の顔を見せに行きます」とか、「実家でのんびりしてきました。明日から仕事がんばります」なんて言う人の姿が流れたりするが、我が家の娘・息子も、もうすぐそんな事を言うのだろうか。そして私は、年に何回か帰ってくる子供達を、心待ちにしながら田舎で過ごす親となってしまったのだろうか。フッとそんなことが頭に浮かぶと、歳とってしまった気分、老人に近づいていく姿、何だか取り残されたような感覚、を感じてしまった。
そりゃあ、東京に比べればココは田舎だし、東京に比べれば自然はある。だけど、山間の山村でもなければ、過疎地や僻地でもない。第一、私は隠居生活などしていない、まだ現役社会人。老けこむような歳でも、優雅に老後を楽しめる立場でもない。と強がってみるが、何だかそんな姿、遠くから懐かしがられる姿が、もう遥か彼方ではなくなってきているのでは、と思ったりもする。ついこの前まで、そんなことはまったく無かったことなのに。
我が家の広くもない玄関。そこに靴が一杯に並んでいる間、それは僅か数日だったが、なかなか楽しかった。久しぶりに5人で囲む食卓。右から左からと、話が飛び交う。テレビを見ながら笑う。その笑い声の華やかさ。3人生活では無かったこと。「後がつかえているから、早くお風呂に入ってよ」という家内の声も、久しぶりに聞いたような気がする。そう、ついこの間までは当り前のことだったのに、今では特別なことになってしまった。今晩も3人で食卓を囲む。5人と3人では全然違う。それでもこれが現実の今。悲しむべき状況ではないことも確かだし、振り返って、懐かしんでも、二度と戻れぬことも確か。ただ、眼の前の我が家が一つの曲がり角を曲がったことを、しっかり感じさせられたゴールデンウィークだった。
以前このブログで、何も変わらないことの幸せを書きました。そして今年の初めに、留まることの無い流れの中に居続けるのなら、せめて滔々と流れる大河のように、ゆっくりと、じっくりと生きてみたい、と書きました。その言葉のとおり、周りの変化に憂えることなく、よく見て、しっかり踏ん張っていこうと思っています。前に進むことが全てではない。前に進めなかったことを嘆くことなく、つまづいて倒れないこともまた大切、と。
この記事を以って、このブログの前半の〆とさせていただきます。ここまでお付き合いいただいた方々、ひとまずお礼申し上げます。ありがとうございました。しばらく充電期間を持ち、気分と頭と体を一旦リセットして、また皆様の前に立てたらいいな、と思っています。
それでは、また。
 
 

それでも・・・


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100万アクセス達成、ありがとうございました [その他]

100万アクセス.jpg

本日、アクセスカウンターが100万の節目を超えました。
このブログをご覧いただいた皆様、本当にありがとうございます。

2007年1月25日に始めて以来、
2007年10月22日(272日目、161記事) 100,000 access
2008年 4月11日(443日目、240記事) 200,000 access
2008年 8月16日(570日目、289記事) 300,000 access
2008年12月16日(692日目、338記事) 400,000 access
2009年 4月 4日(801日目、383記事) 500,000 access
2009年 7月 7日(895日目、419記事) 600,000 access
2009年10月11日(991日目、454記事) 700,000 access
2009年12月20日(1061日目、482記事) 800,000 access
2010年 3月 1日(1132日目、512記事) 900,000 access
そして本日2010年 5月7日(1200日目、540記事)で、100万アクセスを超えました。

自分の日記のように、徒然書けばいい、誰も見てくれなくてもいい、と書き始めたこのブログ。それでも人様の眼に留まるのであれば、恥ずかしくない文章を、と心がけてもきました。そしてコメントを頂ける喜び、顔の見えない間柄でも交流できる喜びも感じさせていただきました。趣味のことばかりでなく、日々の思いや考えも書くようになって、活字にして伝える難しさも感じながら、ここまでやってきました。振り返ってみれば、それは皆様の支えがあってこそのことであり、アクセスカウンターはその支えの表示でもあったと思います。それが節目の100万を超えられたこと、今はただ達成感と感謝の気持ちでいっぱいです。
再度皆様方に、お礼申し上げます。ありがとうございました。
 
 

ここで、皆さまにご報告したいことがあります


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少年サッカーの撮影 その79 [サッカー撮影]

下の作例
1D3+EF400mm F2.8 L IS   焦点距離   400mm  シャッター速度優先
F4.0   SS 1/800   ISO 125   評価測光   露出補正 +1/3   AI SERVO AF  RAW
サッカー79-1.jpg

長焦点レンズを持っていないから、遠くの選手を捨て、届く範囲の手前側でプレーする選手に集中する。実際にこれをやってみると、それほど簡単ではないことに気付く。70m先の選手が5mドリブルして動いても、レンズを左右に僅か動かす(角度にして数度)だけで済む。ロストの可能性も低い。しかし、10m先の選手が5mドリブルすると、その10倍(角度にして数十度)はレンズを振らなければならない。更に大きく撮ろうと縦で撮影すれば、尚更。遠くの選手を小さく撮るのは簡単。激しく動き回る選手が近づけば近づくほど、動き大きさ・早さが感じられ、加速度的に難易度は増す。
サッカー79-2.JPG

熱帯魚の世界では、「金をかけるか、手間をかけるか」という言葉をよく耳にする。お金をかけて機材を揃え、飼育の手間を省く。稚魚から育てるのではなく、多少高価でも、ある程度の大きさに育った魚を購入して、幼魚期の手間と死亡危険度を省く。そのように、最初からある程度の投資をして、少しでも楽を得るか、趣味なんだから、「苦もまた楽し」とお金より手間を楽しむ飼育方法をとるのか、といった意味で使われるのだが、勿論どちらを選んでも、趣味として間違いではないと思う。ただ、「隣の芝は青い」的な悶々とした気持ちを抱いてばかりでは、なかなか趣味を楽しめないとは思う。
先月、高校生サッカーを見に行った時、私の傍らで選手の保護者と思しき方が撮影していた。手にしていたのはKissのWズームキット。試合中、そのチームの保護者の一団の中から撮っていたようだが、結局試合終了までまったく動かず、同じ場所から撮り続けていた。ハーフタイムでサイドが変わっても、日が暮れて逆光気味になってきても、である。その方の撮った画を見たわけではないが、何となく窺い知れる。見ながら、応援しながら、傍らの保護者と談笑しながら、の「ながら撮影」では、私としては期待できない。主催者の決めた範囲内で、もう少し動くなりして努力すれば、もっと違った画が得られたのではないだろうか、と思ってしまった。
昨年、県協会主催試合で撮影した際、地元地方紙の記者の方と一緒になった。その方(女性)が手にしていたのは、CANON EOS 20Dとサードパーティ製のズームレンズ。プロの方なら、もう少し良い機材を使っても良いのではないか、とも思ったが、社が決めた機材はそうなのだろう。でもその方は、自分の欲する画を求めて、精力的に撮影されていた。もちろん、主催者の決めた範囲内で動き、時に立って撮り、時にかがんで地面スレスレから撮ったっりして、機材のハンディを感じさせない。これも、その方の撮った画を見たわけではないが、何となく窺い知れる。
高性能な機材は、撮影者に表現の幅と容易さをもたらしてくれる。しかし、誰しも無限の予算がある訳ではない。夢や希望を抱かえていても、手持ちの機材で、与えられた条件の下で、目の前の選手を追わなければならないのが現実。初心者だから、予算が限られているから、とエントリー機を手にしたのなら、まずはその機材の性能をフルに発揮させ、足らない部分は撮影者の努力と工夫とアイデアでカバーする心得を持って、このサッカーという難題な被写体に向かっていただきたい。そうすればきっと、貴方にしか撮れない素晴らしい写真が撮れると思う。上級機材を既に持っている方は、プレッシャーを感じているのではないだろうか。高価な機材を使って、よい画が撮れるのが当たり前、そうでなければ、撮影者である自分のスキルとセンスの不足ということになってしまうのだから。その状況を充分楽しんでいただきたい、趣味なのだから。後は自分の腕を磨くだけ、という挑戦し甲斐のあるものに挑戦できる喜びを、ぜひ感じて、楽しんでいただきたい。
私の撮った写真は、私にしか撮れないかもしれないけど、それが必ずベストではない。貴方にしか撮れない写真は、私は撮れない。サッカー撮影は、たとえ少年といえども、なかなか難解な被写体に間違いないと思う。最初から簡単に、思ったような画は得られないかもしれない。けどそれは、どんなメーカー、どんなカメラ・レンズでも撮れる。知識と努力と工夫と体力とセンスとアイデアが、少し必要かもしれないけど、ぜひとも挑戦し、貴方にしか撮れない画を、これからも沢山残していただきたい。今しか撮れない画、を。
サッカー79-3.jpg

上の作例
1D3+EF400mm F2.8 L IS   焦点距離   400mm  シャッター速度優先AE
F3.2   SS 1/500   ISO 3200   評価測光   露出補正 +1/3   AI SERVO AF  RAW
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少年サッカーの撮影 その78 [サッカー撮影]

このブログをご覧の皆さんで、サッカーを撮られている方は、下のような画はあまり撮っていないと思います。
サッカー78-1.jpg

先日某掲示板にて、またピントのズレに関する書き込みがあった。そしてその方の撮っている画を見てみると、被写体があまりに小さい。ファインダー上で小さい被写体を狙うとなると、いくらAFフレームを1点に指定したとしても、フレームに対して被写体が小さいので、正確にピントを合わせるのは難しい。ましてや、それが動体となると尚更で、手持ち撮影だと更にそれが加速する。これを以って、機械的なピントのズレがあるのではないか、と推測するのはまず無理であろう。
狙う選手が遠ければ、撮影者と被写体との間に介在する空気量も多い。真冬の澄んだ空気ならば影響は少ないかもしれないか、これから夏にかけては、それは無視できない場合も多くなる。AFで何とか捉えても、エッジの立ったキリッとした画にはならないことも多い。これを以って、テレ端の画が甘い、と断を下すのは、なかなかレンズにとっては厳しい評価だと思う。
上の写真は中学生サッカーで、タッチライン沿いから向こう側のタッチライン沿いの攻防を撮っているので、おおよそ被写体との距離は70mほどあると思われる。人工芝グランドだが、曇天のおかげで照り返しも少なく、真夏の陽炎のような熱気の影響も無いので、それほど悪い条件ではない。けれど、どの選手を狙って撮っているのか分かりにくく、もちろんこの画をトリミングしたとしても、見栄えがするような画になるとも思えず、結局は使い道が無い画になりがちだ。こういう画(私は以前、サッカーをやっている風景と言ったことがある)を撮っていて、カメラやレンズのせいにするのは酷のように思える。
縦横に不規則に動くサッカーの場合、それをしっかり捕捉すること自体が難しいことではあるが、私はこれまで、被写体である選手をなるべく大きく撮ることを、ここで書き続けてきたつもりだ。それはつまり、必要な焦点距離のレンズを用意しなさい、ということでもある。けれど、長焦点距離のレンズは概して高価になるもので、誰もが手にできない場合もあるだろう。それならばいっそ、撮っても無駄になると思われるようなシーン(上の写真のような)は、スッパリ諦める、ということをお勧めしたい。
サッカー78-4.jpg

小学生サッカーならまだしも、中学生以上となると、大人と同じ広さのピッチで試合を行う。こうした状況で、Wズームキットの望遠レンズ(200mm程度)などでは、なかなか全てのプレー、全ての選手をキリッ撮るのは難しく、無駄打ちになることが多い。デジタルだから、万が一を期待して撮っておいても良いじゃないか、という反論も出よう。だが、えてして、何でも撮ってやろうとすると、大事な場面、得意な距離に来た時に、上手く対処できなかったりするものである。
チーム撮りをしている方からは、なるべく出場選手全員をまんべんなく撮りたいので、小さくても押さえておかないといけない場合もある、という反論が出るかもしれない。けれど、「まんべんなく」撮りたいのであれば、まずはそう撮れるポジションを撮影者自身が工夫するのが先決ではないだろうか。だがどうも、そういった光景を見ることは少ない。
初心者の方で、まずはWズームキットから、と言われる方は多い。仕事と違い、生活がかかっているわけではない。趣味なのだから、今後どこまで自分が熱中できるか分からないものに、最初から高額な投資が出来ない、という気持ちはよく分かる。実は私も、最初はそうだったから。誰しも無限の予算がある訳ではない。限られた機材の中でサッカー撮影に挑むのなら、まずは全てを撮ろうとせず、撮れるところからしっかり撮る、ということから始められてはいかがだろう。予算が限られるなら、撮る範囲も限る、というわけだ。そして慣れてきたらその範囲を、少しづつ広げていくことをお勧めしたい。長焦点レンズが手に入らないのに、無理に遠くの選手を撮って不満を募らせるより、届く範囲の選手のプレーに集中する撮り方をした方が、よりよい結果がより多く得られると思う。
しかし、言うは易し、これは実は決して楽なことではない。
(つづく)
下の作例
1D3+EF400mm F2.8 L IS   焦点距離   400mm  シャッター速度優先
F3.2   SS 1/1000   ISO 1600   評価測光   露出補正 +1/3   AI SERVO AF  RAW
サッカー78-2.jpg

サッカー78-3.jpg

上の作例
1D3+EF300mm F2.8 L IS   焦点距離   300mm  シャッター速度優先
F2.8   SS 1/500   ISO 250   評価測光   露出補正 +1/3   AI SERVO AF  RAW
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フードコートにて [巷の雑感]

フードコート.jpg

地方では大型のショッピングセンターは珍しくないが、そういった所にはたいていフードコートがある。フードコートとは、100席規模の共有の座席スペースの周りに、主にセルフサービス形式の小さな店舗が軒を連ねる、飲食店広場のこと。じっくり食べる夕食とは違い、買い物がてらにちょっと食べる昼食には適していて、我が家もいつもお世話になっている。家族で行っても、各自が好きな店で好きなものを注文して、一緒のテーブルで食べられる点が飽きられず、リーズナブルな価格と共に家族連れに好まれるところだろうか。
先週日曜日も、家族と一緒にこのフードコートのお世話になった。ちょうどお昼時ということで混み合っていたが、何とか席を確保して、「チャーハン・ラーメンセット特価」と大きく書かれた店に並んだ。するといきなりテーブルを叩く音が響き、怒声が飛んできた。
「いったい何分待ったと思っているんだ! 何分待たせたか言ってみろよ! 今までこういう店で、こんなに待たされたことは無い! この店の管理は一体どうなっているんだ!」
大声を上げているのは、70歳を超えていると思われる男性。その声にちょっとびっくりはしたが、平身低頭の女性従業員に向かって放たれる声に、私はちょっとムッとした。その瞬間、注文の列に並んでいた私の前の男性(40歳前後と思われる)が、いきなり大声でその老人に言い放った。
「そんな言い方ねえだろう! 一生懸命やってるじゃないか! そんなに待つのが嫌なら、他の店に行けばいいんだ!」
言われた方は、言い返すこともなく、「すみません」と小声で言って、その場を立ち去った。
さて、その店で注文を終えた私は、自分の席に戻って出来上がりを待つ。同じように隣の店で注文した息子のうどんは、早々と出来上がってきた。家内が向かい側の店で注文した焼きそばも。しかし、一向に私のチャーハンラーメンが出来てこない。目の前でサッサと食べ始める家族を見ていても仕方ないので、ちょっと店を覗いてみる。私の注文した店が、他の店に比べて特に注文が殺到している、という訳ではない。私の注文した品も、特別珍しいものでもない。だが、どうも出来上がりの品が出てくるのが、他の店に比べて妙に遅い。機械的なトラブルというより、中で調理する人が絶対的に足らないようだ。
人間、腹が減ると気が短くなるのことは、科学的に証明されているらしい。確かに、手軽に食べれるフードコート店で、こんなに待たされた経験は私にも無い。そう思えば、さっきの老人の怒りの言葉も、何だか納得できるような気がしてきた。あの時は侮蔑の眼を向けてしまったが、意外とあの老人の言うことが正解だったのかもしれない。結局20分以上待たされて、私のチャーハンラーメンは出来上がり、やっと席に戻って来れた。もちろんその時には、家族は既に食べ終わっていたのだが。
食べながら、フッとその店に眼を向けると、さっきまで注文を受けていた女性従業員の姿は無く、代わりに男性従業員がレジ前に立っている。その女性従業員は、奥で調理係になってしまった。混雑具合を察して、どこからか助っ人がやって来たのか、それとも本来の人員がやっと揃ったのか、それは分からないが、待ち時間は大幅に短縮されたようだ。しかし、先程の老人や、それを戒めた男性、そして私など、口に出す出さないは別にして、待ち時間の思わぬ長さに憤慨した人々を作った原因は、さてどこにあるのだろう。あの頑張った女性従業員ではない事は確か。そうなると、やっぱりあの老人の言った、店の管理体制ということになるのだろうか。日曜日の昼食時に、必要な人員を用意できなかった(実際には手配していたのかもしれないが、現実はそうならなかった)、店の管理者の責任ということだろうか。そうなら、やっぱりあの老人の主張は正しい事になる(主張の方法は別として)。
しかし、私もサービス業に従事する者の一人。あの店の店長なり管理者なりの立場に自分を置き換えてみると、言い訳の一つも言いたくなる気持ちも分かる。どんな時もお客に充分なサービスが提供できるように、人員を充分用意するということは、すなわち経費の増大を招き、今のような低価格では商品を提供できない、と。この不景気の世の中、業種を問わず経費削減に勤しみ、皆ギリギリのところで踏みとどまっている。実際私は、こうしたフードコートに出店している店で、流行っていたように見えたのに、閉店を余儀なくされた店を何度も見ている。今日この店で起こった不具合が、明日、次週の日曜に、両隣の店で起こる可能性は確実にある。経費の削減と闘いながら利益を生み出していかなければ、自分の立場が危うい店長なり店の管理者なりに、同業者としてちょっと同情もしたくなる。
ではやっぱり、元々の原因は、この不景気のせいなのか。しかし待てよ、バブルで賑わい、好景気を謳歌していたあの頃、我々サービス業は充分な人員を確保できていただろうか。探せばいくらでも職が見つかるその時代、盆も正月もゴールデンウィークも、早朝も深夜も働かなければならないサービス業では、やっぱり人手不足だったことを思い出す。あの頃、ドンドンやってくるお客に、その対価に見合うサービスを提供できるように人員を確保することが、一番の頭痛の種だったのではないか。景気の好不調で、悩みは解消されない。
じゃあ、いったい何処に原因が・・・、と考えたところで、私の思考は止まった。同時に、食べ終わった私の箸も止まった。人間、腹が減ると気が短くなるのことは、科学的に証明されているらしいが、その逆もそうらしい。満腹の私には、それ以上の詮索をする意欲が無かった。それと同時に家族の姿も、その席には無かった。「遅いから、先に買い物しているね」と言って、先に立ち去ったのだった。一人残された席を立って見渡せば、何事も無かったかのような日曜日のフードコートだった。
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産卵ラッシュ 後編 [熱帯魚]

産卵ラッシュ2-1.jpg

卵胎生メダカのプラティも昔から飼っていて、比較的稚魚が取りやすいタイプ。マウスブリーダーではありませんが、卵を体内で受精させ、稚魚の状態で体外に出すので、お腹の膨れたメスを産卵箱に入れておくと、簡単に稚魚が取れたりします。グッピーと同じですね。昔はそうしてセッセと増やしていたのですが、今は自然に任せていました。ミクロソリウムなどの水草を豊富に入れておくと、その葉陰で生んだらしく、稚魚の姿をよく見かけます。もちろん、親魚にまで成長する確率は低いのですが、それでもここ数年、絶えることなくプラティ水槽は続いていました。ところが先月、このプラティ水槽で病気が発生し、親魚がほぼ全滅状態に。できる限りの手当はしましたが、基本的に体力の無い小魚。仕方ないかな、と諦めていたところ、よく見るとプラティーの稚魚10匹ほどが生き残っているではありませんか。あの状態の水槽内で、よくも生き残ったものだ、と感心しきり。きっと、瀕死の親が最後の力を振り絞って産み落とした子達なのでしょうね。プラティ水槽も手じまいか、と一時思いましたが、今はこの子達を何とか育ててあげたいと思っています。
そして最後はトライアングルシクリッド。アメリカンシクリッドの一種で、これも2年ほど前に幼魚3匹を購入しました。3匹とも20cmほどの成魚に成長したのですが、その中の2匹がペアに。当然三角関係になりますので、外れた一匹はお邪魔になり、ボコボコにいじめられる始末。ペアの2匹を別水槽に移してみると、先日産卵しました。初めての産卵で、産卵数も少なく、現時点では孵化していませんので、受精卵かどうかも分かりません。まずは、うまく孵化してくれることを祈っているのですが、さてどうなりますか。
産卵ラッシュ2-2.jpg

そんな訳で、現在我が家では、小型水槽の需要が多く、実際増えています。昔熱帯魚店をやっていたおかげで、機材は豊富に持っていたので助かりましたが、一般的には手間と時間とお金はかかりますね(前回書きましたように、稚魚が取れること自体は喜びに違いないのですが)。永い間、熱帯魚飼育を続けてますが、こうして稚魚が取れる一つの要因に、水があるように思えます。会社で飼っていた頃も、今以上にいろいろ努力してみたのですが、結局まったく取れませんでした。今回は特に期待も努力もしなかった自宅。水換えをするのに使う水は、どちらも水道水ですが、その違いが出たのではないか、と推測しています。魚にしか分からない、微妙な違いが有るのでしょうね。
基本的に、自分の水槽内で生まれた魚は、自らの飼育水の下で生まれただけあって強いですが、それでも稚魚には変わりなく、ちょっとした変化で全滅ということも、ままあります。これから先、上手く育って行ってくれるのか、そうでないのか、飼育者の腕と手間の掛け方次第だとは思いますが、あくまで趣味の範囲で、見守っていきたいと思っています。

(それにしても熱帯魚の写真撮影は難しい。特にこんな小さな魚は。マクロレンズが有れば少しは楽なのかな)
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